鬱の日暮らし

祖父が亡くなった

20時5分。87歳、腎臓癌が進行しての病死だった。


朝見た夢は祖父がまだ太ってた姿だった。チューブに繋がれてはいたけど元気だった。布団から起きて来て歯の抜けたような言葉で「あばあ(じゃあな)」って言ったとこで目が覚めた。


起きて2分後に親から"じいちゃんが危ないから帰ってこい"ってラインが来た。急いで戻って声をかけ続けたけど夜にスッと呼吸が止まって亡くなった。


誰にも弱いとこを見せない祖父らしい最期だった。


祖父は東大出身、海軍の官僚候補のエリートだったらしい。初任給を1日で溶かしたり飲み歩くとんでもない人だったらしいけど僕の見た祖父は優秀なサラリーマンだった。


土木のトップを走る会社で課長、部長と進み、社長になった瞬間を覚えてる。家族でドンジャラをしながらお祝いした日。


とても大きい日だったのに今思うといい加減にお祝いしたなと思う。


その後、会長にまで進むも政治的な力で降ろされてサラリーマンとしての人生を終えた祖父は近所の子供達に数学を教えていたらしい。



僕にとっての祖父は甘やかし放題の教育じいちゃんだった。電車を見たいと言っては連れて行ってくれて写真撮影を一緒にしてくれたり。おもちゃが欲しいと言っては買い与えてくれた。


勿論、親は甘やかしすぎと怒ってたけど僕ら兄弟にとっては優しい祖父だった。一緒に割り箸でパチンコを作ったり勉強を見てくれたのは子供の頃の思い出としては大きく記憶に残ってる。


大人になってからは結婚しろの声に煩く思ったり面倒に感じてたんだけど、それもまた孫を愛しすぎるが故の御節介だった。


僕の婚約が破棄になって元カノが実家に電話をして、ショックを受けた数日後に祖父は入院した。


元カノをそうさせてしまった僕と僕自身の行動が祖父にショックを与えて病気を進行させてしまった。結局、最後まで祖父にツンケンしたままお別れになってしまった。


入院する前には祖父の癌が発覚して手術をして自宅療養に専念していた。経過良好という話からまだ数年は大丈夫だろうと思っていた。



今日は自分が、たまたま仕事が開けられる日で。たまたま翌日も開けられるかも、という日だった。月に一度あるかないかみたいなタイミング。中々帰れない僕に合わせてくれたのだろうか。


夢で見た祖父は歯のない話し方をしてたけど、普段は歯がある…と思ってたけど入れ歯だったみたいで入院中は歯がなかったらしい。


夢の祖父は祖父だったんじゃないかなって思います。


今は思い出が走馬灯のように駆け巡って実感がないのが本音。涙は止まらないんだけど。


僕はまだ孫の顔も見せてないし起業した会社も祖父のように会社みたいに大きくできてない。胸張ってじいちゃん大丈夫だよ!って言える人間にもなれてない。


ごめんな気持ちとまた祖父と話したい気持ちでいっぱいです。二ヶ月前まではほんとに元気で俺に小言言ってくれたのにな。


「早く結婚しろよ」って声が今も耳に残ってます。落ち着けてなくて安心させられなくてほんとにごめんなさい。


最後の最後までツンケンしてしまった。大好きだったのに。大好きな人ほど照れ臭くて表現できない。そして傷つけてしまう。自分が嫌いだ。


忘れたくないからここに残して起きたい。まとまらなかったけど自慢の大好きな祖父が亡くなった日の日記。